益子氏
益子氏(ましこし)の概要
益子氏は、鎌倉時代から戦国時代にかけて下野国(現在の栃木県)で活躍した武家で、紀氏の流れを汲み、下野守護宇都宮氏の重臣として隆盛を誇りました。
同氏は宇都宮氏麾下の二大武士団である「紀清両党」の紀党を率い、源頼朝の奥州藤原氏討伐に従軍して武功を挙げ、源氏の白旗を拝領する栄誉を受けたと伝えられます。
南北朝時代には北朝方として転戦し、室町時代には西明寺城など複数の城を有して600町の領地を支配する有力国人領主として君臨しました。
戦国時代に入ると、益子勝宗は主家と異なる親武田路線を取り、武田信玄から「此度之武功無比類儀候」の感状と嫡男への偏諱「信」の字を授かるなど、独立色を強めました。
しかし天正年間に入ると、跡目相続をめぐる内紛や周辺諸氏との抗争が激化し、天正12年(1584年)に益子家宗が主家・宇都宮氏に叛旗を翻すものの敗死し、同氏は衰退の道を辿りました。
Source: 益子氏 — Wikipedia · Summary by RollWiki AI · Language: Japanese